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牧師室より 〜説教テーマひとことコラム〜
3/22・23 四旬節第3主日「不出来」
牧師 中島和喜
2025年3月16日
「なぜ」「どうして」そういった出来事と何度もでくわすのが私たちでありましょう。聖書を読むとその問いに対しての答えは明確にはされません。私たちの目から見て理不尽・不幸な出来事は、避けようがありません。 それをなくして欲しいと願う私たちでありますが、そうもいかないのが現実です。どれだけ祈っても、その現実は変わりません。
私たちは「なぜ」「どうして」といった問いを持つ時、そこに答えがないと不安になります。「わからない」が嫌いなのです。にもかかわらず、聖書は答えてくれません。だから、委ねるしかないのです。
すべては神の御手にあるのだと。それ以上のことはわからないけれど、自らの内にある問いを神に放り投げてしまう。そのことによって、少なくとも「わからない」という不安や恐れから解放されるのです。
この世のもの全てを理解できるほど、私たちは完璧ではありません。だから、全知全能の神に、後は全てを委ねるしかないのです。納得はできないかもしれませんが、案外に納得というのはただ「自分の求める答え」を欲しているだけです。それは一時の安心でしかありません。「わからないから委ねる」それぐらいに、気楽に構えていきましょう。
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